第861回 創立40周年記念パーティー
41年目4月
新人スカウトで近藤真琴を採用。キックボクシングの経験があり、キックボクサーを目指していたが、SPZは稼げるという内田スカウトの言葉に動かされ、入門を決意したらしい。
「あ、イタッ・・・・」
SPZ34期、フローラ小川が手首の負傷で巡業を欠場。最終戦の40周年記念興行のみの出場となることが発表された。
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4月シリーズ開催前日、横浜ベイサイドホテルのバンケットルームを借り切って、
「SPZ創立40周年記念パーティー」が開催された。
テーブルの上にはローストビーフ、真鯛のポワレ、パルマ産生ハム、ミラノ風カツレツといった豪華な料理が所狭しと並べられ、何箇所かに設けられたテレビからは過去のSPZの名勝負が流される。京スポの若林記者をはじめとする多くのマスコミ記者さん、イベント会社や印刷会社、金融機関などのお取引先、「よこ川」マスターやら喫茶あばしりの鈴波店長といった内輪同然の面々を招待しての大宴会。
「本日はSPZ40周年記念パーティーにお越しいただきありがとうございます。忘れもしないあの2009年4月21日、横浜赤レンガ大会にてわずか3名の選手で旗揚げしました。あのときは新人の小川ひかる選手と保科優希選手がAACの選手にボコボコにされて、この団体どうなるんだろうと思いましたが、あれから40年のときを経て素晴らしい選手、スタッフを擁する日本でも有数のプロレス団体となりました。」
井上霧子SPZコミッショナーが挨拶。
「今月もドーム興行連発というチャレンジを致しますが、初心を忘れることなく、本気、まごころ、手作り感を旗印に、選手社員一丸となって頑張ってまいりたいと思います。」
「おかげ様でSPZは40周年を迎えることができました。これもひとえに、本日お集まりいただきました皆様のお力添えのおかげであります。これからもSPZは、お客様のためにたゆまぬ努力を続けてゆきますので、お力添えをお願いいたします。」
中森登志子社長が短めに挨拶。
そのあと選手がステージの上に集まり、ひとりずつ阿部リングアナにコールされる。
「じゃすてぃすー、えちーごー」
SPZの現エースはジャスティスえちご。
乾杯の音頭は、車イス姿で登場したSPZ創業者、今野ファウンダー74歳。大病の後なのでさすがに痩せこけている。久しぶりに公の場に姿を見せた。
「み、皆さん・・・・」
今野ファウンダー、車イスのままマイクに向かって、用意していたメモを読み上げて挨拶。
(今野さんも、一気に老けたな・・・・)
会場からはそんな声も。創業者として精力的に動いた時期もあったのだが、昨年夏にカラオケ歌唱中に倒れて、それ以来めっきり衰えた。
「え、えーおかげ様で、SPZは40周年を迎えることが、できました。関係者の方、お取引先様の方には大変、ご苦労をおかけいたしました。ゴホゴホッ。私も、その・・・・・・・・力尽きるまで、SPZを支えて・・・・・まいりたいと思いますので、ご支援宜しくお願いいたします・・・・では、カンパイ・・・・」
こうして楽しいパーティーが盛大に行われた。年長組の選手はもの食い、酒飲み、ライラ神威やギムレット美月といったOG連中ももの食い、酒飲む。SPZの選手は井上霧子の影響で飲める選手が多かった。
「ひかるさん・・・・もう私、ダメかも知れんね」
今野ファウンダー、会場すみでぼそりと。車椅子に乗ったまま、お取引先と挨拶しつつ、ベイサイドホテルの最高級の料理を口にしたが、ちょっと手をつけただけであった。
「スモークサーモンが、うまいと感じなくなった。大好物なのに」
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