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2010年5月27日 (木)

ラッシャー木村さんの思い出

本日は通常更新の予定を変更して追悼特別版をお送りいたします。

私の持っている1枚のTシャツ。

1992年3月武道館大会の全カードが記されています。

その第3試合、

3.RUSHER KIMURA       MASANOBU FUCHI

  MIGHTY INOUE     VS  HARUKA EIGEN

  ISAMU TERANISHI      MOTOSHI OKUMA

これがラッシャー木村を生で見た最初でした。

そうか、ラッシャーって「ラッシュする人」(ばこばこばこーんと攻撃する人?)なのか、(ついでに言うと「マイティ」っていうのは「力強い人」なのか~と、家に帰って英和辞典を引いて気づきました。)

この日は馬場さんがアンドレ・ドリーと夢のトリオを組んで川田小橋菊地とセミ前で対決するため、ラッシャー木村は国際時代からの戦友、井上・寺西をパートナーに悪役商会と対峙。

休憩前のコミックプロレスとはいっても、渕選手やマイティ井上選手がメンツに入っているので試合の8割は殴る蹴る、もみ合う主体の技の少ない昔ながらのプロレス。。中盤、永源が木村のチョップを受け、客席にツバを飛ばす「ツバ攻撃」ではなんと味方の渕がタオルを持ちだし永源に「ほっかむり」をかぶせて阻止し、永源がほっかむりをしたまま戦い続けるといった笑えるハプニングも。

そして10分を過ぎたあたりで試合が動き出し、6人が入り乱れる混戦のなか流れを良く見た寺西が永源を丸め込んで、ファミリー軍団が勝利。

試合後はお約束の木村のマイク。「悪役商会のみなさん、もうすぐ春ですね・・・・」ではじまり、最後は、「渕!今から俺の言うことを効いて驚くなよ!俺は、きんさんぎんさんの歳になってもリングに上がるからな!」で締めました。

ラッシャー選手のファイトは全日でしか見たことがないのですが、50代に入ってもそこそこ鍛えられたがっしりした肉体で、黒いロングタイツがピシッとあっていました。馬場さんとのタッグでは馬場さんのサポートをこなし、得意技はブルドッキングヘッドロックとラリアット。(ハンセンのように豪腕を振ってくるタイプではなく相撲出身者らしいカチ上げるようなラリアット。)

国際時代はパンチパーマだったのですが、全日時代は髪を短くしていたこともあり「カールおじさん」のような風貌で、120kgある体重を活かした重さの感じられるファイトをされていました。マイクパフォーマンスはあくまで試合後のおまけで、ファイトでもさすがは国際のエースと感じられるものでした。全日時代の思い出に残るファイトは、

91年にマイティ井上と組んで参戦した最強タッグリーグ。(馬場さんはアンドレと組んで出たため)老いてなお世界の強豪と真っ向勝負を繰り広げる。ダイナマイトキッドとも殴り合っていました。パートナーの井上が捕まってしまうケースが多く、得点は4点(だったと思う)でしたが、キッド相手に「もう一回だ」とマイクパフォーマンスするなど元気でした。

92年には鶴田軍の助っ人も2回ありまして存在感を発揮。確か92年4月の鶴田軍・超世代軍4体4サバイバルタッグマッチで田上明選手が足を負傷して欠場でその代打を務めました。鶴田とタッグを組んで三沢川田と激突。多くのファンはファミリー軍団の木村しか知らなくて、ファンの期待もいまひとつだったのですが懸命に三沢・川田の攻めをこらえてラリアットで反撃、そして沸きあがった木村コール。最後は川田のストレッチプラムにギブアップ負けしてしまいましたが、存在感を大いに発揮していました。

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