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2011年7月22日 (金)

魁皇伝説(2)

魁皇になる前の古賀少年が「勝つうれしさ」を感じるようになったのは幕下に上がったころからだった。

しかしプレッシャーに弱いという性格はこの頃からあり、それを克服するために会場入り前に少し酒を飲んでリラックスするという手法で(未成年飲酒?)乗り越え、平成3年11月、新十両を決める。このときから四股名を本名の古賀から、「魁皇」に改める。

力まかせの相撲で相手に「まわしをとられたらやられる」と警戒され、頭角を現すが、力に頼るあまり取り口が雑で、学生相撲出身者には弱かった。

平成5年5月、デビューから5年余り、20歳で新入幕。決して遅い出世ではないが、素質Sクラスの曙、貴はすでに横綱大関に上がっていた。幕の内デビュー戦ではあの舞の海に転がされて敗北。けっきょく4勝11敗で負け越し、十両に逆戻り。しかし11月に再入幕。

平成6年からは上位戦線に定着。あの霧島や小錦とも対戦。平成6年3月には横綱・曙を押し出しで破り、曙に「突っ張りを出した腕をつかまれ、そのときの指の跡が取り組み後も残った、そのときから魁皇のことをライバルだと思うようになった」と言わしめる。

しかし対戦相手に研究され、上位戦線では苦戦を余儀なくされる。しかし本人は「力任せの相撲で何が悪い、自分の形になれば絶対勝てる」とおごり、対戦相手のビデオを見て研究することもしなかった。

親方はここまで来るとあえて何も言わない。「基本的なことは教えるが、このレベルに来ると本人が自分で考えて習得しなければ身につかない」

突き放すときは突き放す。友綱親方の指導法。

三役に上がった魁皇は九州出身のお相撲さんらしく酒豪でも鳴らした。

地方場所では毎晩のように飲み歩き、同期の力桜(後のプロレスラー力皇猛)の証言によれば、1晩でブランデーのボトルを10本空けたり、酔って道路標識をねじ曲げたという伝説を残す。

またあるときは飲み屋のビンゴゲームで当たった賞品の自転車をビルの中で乗り回すという伝説も。しかしさすがに身体を壊し、飲む酒をブランデーから度数の低い日本酒や焼酎に切り替える。種類を変えただけかい。

(続きます)

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