2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 魁皇伝説(3) | トップページ | 第1,119回 50年目11月 あなたは目じゃないのヨ »

2011年7月24日 (日)

魁皇伝説(4)

「大関に上がるときも大変だったが、辞めるときも大変だ」

自嘲気味につぶやいた言葉どおり、魁皇はなかなか辞めなかった。治療を続け、奈良県のトレーニング施設や整骨院に通い、体のケアを続け、35歳を過ぎても大関として土俵に上がり続けた。

2009年頃からは衰えが顕著になってきたが、体力が落ちた分は長年の土俵生活で培った経験と技術でカバーし、豪快な上手投げもあまり見せなくなり、はたきこみや引き落としでしのぐ相撲が目立つようになった。

「遊ぶのは、辞めてからいくらでもできる、いまは相撲が第一」

趣味と言えば犬の散歩とラジコンカーを走らせることくらい。子供の頃から車好きで、でも現役力士は車を運転できない相撲協会の規則があるのでラジコンで我慢している。

2009年(H21年)は6場所全て8勝7敗と言う不名誉な記録も作り、大関としてはどうなのと思われる成績だったが、若貴のころから魁皇の雄姿を見てきたファンはもうそんなことは関係なかった。一日でも長く土俵に上がり続けて欲しい。そしていつしか福岡のみならず東京、大阪、名古屋でも大歓声が飛ぶようになった。

2010(H22年)年1月、長年の盟友千代大海を下し幕内勝ち星1位を達成。その場所限りで千代大海、そして悪童横綱・朝青龍が引退。そして5月場所終了後には野球賭博騒動で琴光喜が引退。結果的にこれで星勘定が楽になり、魁皇の寿命はさらに1年延びた。

2010年5月千秋楽、琴欧州を破り1000勝を達成。しあkしこのあたりで魁皇の身体は限界が近づいていた。

「さすがに来年はないと思うのでしっかり相撲を取りたい」

去年の九州でこう述べた魁皇、12勝3敗の好成績を残すが、これが優勝争いに絡んだ最後。

腰痛、ヒザ痛、坐骨神経痛・・・階段の上り下りもままならぬようになって、気力だけで土俵に上がり続けた。5月場所では最後の力を振り絞って、横綱白鵬に勝ったが、もうこの時点で魁皇は力を出し尽くしていたと思われる。

最後の名古屋場所ではもう力の衰えが顕著になり、ぶざまに崩れ落ちる現象も何番か見られた。どうにか周囲の期待に応え、千代の富士の持つ通算1,045勝の最多勝利記録を更新したが、そこまでだった。

休んで秋場所で進退をかけるという選択肢もあっただろうが、腰がもうダメで足がしびれてはどうにもならなかったのだろう。

魁皇関、長い間お疲れ様でした。引退後は車の運転など、これまでできなかったことを楽しんでください。

*************************

私にとって大相撲はテレビで見るものでしたが、魁皇が懸命に引退危機と戦う中で、どうしても生で見に行って声援を送るべきと考えて、2009年の1月に両国に足を運んだのが始まりです。以来東京場所の度に観戦し、魁皇の動向に一喜一憂していました。

名古屋場所初日二日目の取り組みを見て「引退は近いな」と直感し、名古屋まで観にいき、鶴竜の押しに崩れ落ちるのを見て覚悟を定めました。今後私は相撲を観に両国へ行くことがあるでしょうか。魁皇が限界をとうに越えていた事は分かってはいますが、やはり寂しい。

引退会見のときの魁皇の笑顔は実にさっぱりとしていた。やることは全てやりつくした。そんな顔をされていました。

« 魁皇伝説(3) | トップページ | 第1,119回 50年目11月 あなたは目じゃないのヨ »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 魁皇伝説(3) | トップページ | 第1,119回 50年目11月 あなたは目じゃないのヨ »