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2011年7月23日 (土)

魁皇伝説(3)

怪力にものを言わせた相撲から、左四つ右上手という「自分の型」をもつようになり、右上手さえ取れれば貴乃花をブン投げる実力を持つに至った魁皇。しかし、若貴兄弟や曙・武蔵丸といったハワイ勢としのぎを削りあう中で、いまひとつ上へのし上がることができなかった。

平成10年には結婚し、大関候補の呼び声も高かったが、プレッシャーに弱い性格が災いし、何度もチャンスを逃す。千代大海、武双山、雅山に大関昇進で先を越される。

平成12年初場所千秋楽で武双山に敗れて負け越してしまい、「猛烈に悔しい思いをした」らしくそれ以降はトレーニングや体のケアに取り組み、酒量も減らして摂生に務め、平成12年5月場所、27歳でようやく初優勝。念願の祝い鯛をもって記念撮影。次の場所でも11勝を挙げ、ようやく大関昇進。その時はうれしさのあまり浴びるほど酒を飲んだらしい。

福岡県出身ということで地元九州場所では絶大な大声援を受けるようになり、プロレス会場のような手拍子つき「カイオーコール」に包まれる現象がおき、対戦相手はアウェーゲームのような感じを味わったらしい。

さらにJR九州は福岡と直方を結ぶ特急列車を新設した歳に、その特急列車の名前を「かいおう」としてしまったほどの人気。存命中の人名(四股名?)が列車名に使われるのは異例。

大関昇進後2-3年が魁皇のピークの時期で、力強さに自分の形、若干の技術も加わり安定感があった時期。若乃花、曙が引退し、貴乃花も平成15年1月で引退し、大関で4回も優勝するが、綱とり場所ではケガやプレッシャーで思うように結果を出せず、横綱にはついに手が届かなかった。

そうこうしているうちにモンゴル勢が下から上がってきて、朝青龍にあっさり追い越されてしまう。最後のチャンスだった平成16年の九州場所も12勝3敗で準優勝に終わり、昇進見送り。「魁皇に朝青龍の何分の一かのやんちゃさがあったら・・・・」と言われるも、これは性格なのでどうにもならない。

こうしてピークの時期に天下取りはかなわず、33歳になってからは持病の腰痛に加え、足の怪我、体力面の衰えが出だし、平成18年3月、大関カド番で迎え、序盤で2勝4敗になったところで師匠の友綱親方から引退勧告されるが、「まだやれます」と引退勧告を断り、何とかその後持ち直し8勝7敗で引退を回避。

それから5年余りの間、魁皇の「いつ辞めるのか」劇場が始まった。魁皇といえば「ボロボロ」「満身創痍」が対句のようになり、そして若貴時代では脇役だった魁皇が、その懸命の土俵で大声援を受けるようになった・・・。

(続く)

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