第1,436.5回 3分の2が終わった
なんとかSPZを旗揚げしてから66年が経過しました。
団体経営モードは99年までできるらしいのであと33年です。
3分の2は消化しました。
まだコップの中には3分の1残っていると考えるべきなのか。
2007年1月にやりはじめたこのゲーム、まだ先が見えない状況です。
最近は忙しくPS2の電源が入れられない状況です。
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3月上旬のある日、
笹塚のマンション、
ジャージ姿の少女へ母親がおろおろしながら、声をかけていた。
「あ、あかり、プロレスは死ぬかもしれないのよ。」
「・・・・自分を信じてやるだけよ。よっぽど運が悪くない限り大丈夫」
けっきょく母親(元SPZ王者フローラ小川)は推薦状も口利きもせず、西明里は一般受験でSPZの新人テストに応募した。
(誰に似たのか、あかりは力はないけど努力でカバーしてきた。チェストプレスも75kgできるようになったとか言ってたし・・・・でも、いまのSPZは・・・うちらのいた時代よりもっと過酷なせめぎ合いの世界・・・・・・)
おろおろするばかりの西花子48歳(元フローラ小川)だったが、祖母の今野ひかる81歳(SPZ第5代社長、松本に隠居中)からは「なるようにしかならないわよ」と電話で励まされた・・・・
西明里、戸塚の体育館で一次審査に臨んだ。
まずは腹筋腕立てスクワットの耐久テスト。
(どこかで…見たような・・・顔ですね)
審査員の一人、杉浦美月SPZ広報部長(36)は応募書類に視線を落とした。
(・・・・!!)
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そのころ、ハルカ(SPZ60期)と加藤貴明(株式会社コンテック流通機器2課課長)は、、夕暮れ、静岡の焼津海岸にてデートしていた。さかなセンターで刺身船盛りを食べて、満腹して静岡茶を飲んで、腹ごなしに海岸通りを手をつないで散歩。
「さっきのお刺身、美味しかったね、遥さん」
「ええ・・・・た、貴明さん・・・・・」
(ようやく名前で呼び合うようになった二人)
やがて夕闇が迫るころ、
「そろそろ・・風が強くなってきたね、クルマに戻りますか」
「はい・・・・・」
加藤貴明はハルカを引き寄せて、唇を合せた。
一秒、
二秒、
そのまま三秒。
離れ際、貴明はハルカの膨らみに服の上から一瞬だけ、掌を当てた。
「さっ、東京帰ろうか」
「・・・・・・・・・」
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