2022年3月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 第1,436回 66年目3月 さいたま決戦 | トップページ | もうすぐクリスマスですが20121219 »

2012年12月18日 (火)

第1,436.5回 3分の2が終わった

なんとかSPZを旗揚げしてから66年が経過しました。

団体経営モードは99年までできるらしいのであと33年です。

3分の2は消化しました。

まだコップの中には3分の1残っていると考えるべきなのか。

2007年1月にやりはじめたこのゲーム、まだ先が見えない状況です。

最近は忙しくPS2の電源が入れられない状況です。

************************

3月上旬のある日、

笹塚のマンション、

ジャージ姿の少女へ母親がおろおろしながら、声をかけていた。

「あ、あかり、プロレスは死ぬかもしれないのよ。」

 「・・・・自分を信じてやるだけよ。よっぽど運が悪くない限り大丈夫」

けっきょく母親(元SPZ王者フローラ小川)は推薦状も口利きもせず、西明里は一般受験でSPZの新人テストに応募した。

(誰に似たのか、あかりは力はないけど努力でカバーしてきた。チェストプレスも75kgできるようになったとか言ってたし・・・・でも、いまのSPZは・・・うちらのいた時代よりもっと過酷なせめぎ合いの世界・・・・・・)

おろおろするばかりの西花子48歳(元フローラ小川)だったが、祖母の今野ひかる81歳(SPZ第5代社長、松本に隠居中)からは「なるようにしかならないわよ」と電話で励まされた・・・・

西明里、戸塚の体育館で一次審査に臨んだ。

まずは腹筋腕立てスクワットの耐久テスト。

(どこかで…見たような・・・顔ですね)

審査員の一人、杉浦美月SPZ広報部長(36)は応募書類に視線を落とした。

(・・・・!!)

**********************

そのころ、ハルカ(SPZ60期)と加藤貴明(株式会社コンテック流通機器2課課長)は、、夕暮れ、静岡の焼津海岸にてデートしていた。さかなセンターで刺身船盛りを食べて、満腹して静岡茶を飲んで、腹ごなしに海岸通りを手をつないで散歩。

「さっきのお刺身、美味しかったね、遥さん」

「ええ・・・・た、貴明さん・・・・・」

(ようやく名前で呼び合うようになった二人)

やがて夕闇が迫るころ、

「そろそろ・・風が強くなってきたね、クルマに戻りますか」

「はい・・・・・」

加藤貴明はハルカを引き寄せて、唇を合せた。

一秒、

二秒、

そのまま三秒。

離れ際、貴明はハルカの膨らみに服の上から一瞬だけ、掌を当てた。

「さっ、東京帰ろうか」

「・・・・・・・・・」

« 第1,436回 66年目3月 さいたま決戦 | トップページ | もうすぐクリスマスですが20121219 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。