第1,437回 小川あかり、デビュー
67年目4月
今年はスカウトが不作で、どのエリアからも有望新人の報告が上がってこなかった。そこでSPZは入団テストを開いたが、ややはり全体のレベル感が低く、これはという素材がいない。しかし一人の少女が既定のメニューをクリアし、面接に進んだとき、面接官のブレード上原(SPZ博物館館長)が気づいた。
「!!」
応募書類には「西明里」と記載してあったが、どこかで見たような雰囲気が。
「西さんって、あなた、まさか・・・・」
「はい、母親がレスラーでした」
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SPZ34期、フローラ小川の娘がわざわざ新人テストを受けにきた。親のコネを使わずに応募したところが凄い。
(本当は母親が娘のプロレス入りを頑として承知しなかったので・・・・)
あわてふためくSPZ上層部。しかし黒田社長は「集客のネタになる」と判断して採用を即決した。母娘3代にわたってプロレスラー、いったいどういう家系なのだろうか。
入社・入寮の話がまとまって、なげく母親(元フローラ小川)だったが、本人の意志が固いとあってはいかんともしがたく、SPZ道場へ送り出すことになった。
母娘3代レスラーということを強調するために、リングネームは祖母の姓を取り、「小川あかり」となった。
「とりあえず来週からシリーズ始まるから、受け身だけ練習しておいてくれ」
そう黒田社長にいわれた小川あかり、大先輩のハルカのもとに預けられ、基礎練習に明け暮れることになった。
「後ろ受け身、そうそう、そんな感じ・・・・」
以前は取っ付きにくいところのあったハルカだが、最近彼氏ができたらしく性格も徐々に明るさを増していった。
そのまま4月シリーズに同行。セコンド業務についてプロレスを学ぶ日々が続いた。
「今日デビュー戦、GOでたっぽい」
第7戦の釧路大会、試合前練習の時にいきなりハルカから言われた。デビューあるかもという話はあったので、リングコスチュームとシューズは持っていたが
「相手は・・・どなたですか」
「相羽さん。受け身だけ取って、きつくなったら負けて。無理しなくていい」
その1時間後、小川あかりは第1試合のリングに立っていた。
デビュー戦の相手を務める相羽和希、アームホイップ、チョップで先手を取り、ドロップキックで吹き飛ばす。小川あかり、エルボーを入れたあと腕を取っていくが、相羽あっさり振りほどき
「はっ」
相羽、伸びのあるドロップキック連発。倒れた小川、そのまま押さえ込む。
「ワン、トゥ、スリ」
セブン山本レフェリーが3カウントを入れた。勝負タイム7分20秒。
「投げちゃうとどうかなって思ったのでドロップキックで決めました」(相羽)
相羽は汗ひとつかいていない。小川あかり、デビュー戦は軽くひねられて終わってしまった。
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