第1,696回 SPZアイドルレスラープロジェクト
レッスルエンジェルスサバイバー プレイ日記
輝くエッセンシャル
76年目4月
時に、西暦2084年。
横浜のお嬢様プロレス団体、SPZは新戦力を開拓すべく、日本最大のアイドルグループを運営している「OKA3000」と商談を行った。
「御社のアイドルを1人お預かりさせていただけないでしょうか」
セブン山本統括部長が単刀直入に話を切り出す。
「駄目ですよ、プロレスは痛いし事故ったら死んじゃいませんか?それに筋肉ついちゃうでしょう」
「そこをなんとか。3000人のアイドルの中に一人ぐらいそういうのがいても逆に話題になりませんか」
「わかりました、いくつかの支部に話しだけしてみます」
OKA3000は総勢3000名のアイドルグループで、年に数回、新九段下武道館アリーナを埋め尽くしてのコンサートを行い(観客は1階席2階席にしか入れない)3000人のアイドルが大合唱というものすごいイベントを行っているが、普段の活動は全国100の支部に所属する30人ずつの単位でライブ公演や芸能活動を行っている。
しかし痛い思いをしてまでアイドルのスターダムにのし上がろうと考える人はなかなかいなかった。セブン山本は都内いくつかの支部に話を持っていったが、なかなか話すら聞いてくれるところがは少なかった、しかし
「私、やってみます」
OKA3000立川支部に所属する15歳の少女、小下小石(こしたこいし)がアイドルレスラーとなることを承諾した。ジュニアグループから昇格してきたばかりのニュービーだが、その分伸びしろはある。
「私はどうしてもK1に上がりたいんです。そのためには先輩方と同じことをしても駄目だと気付きました」
K1というのは3000人のグループ内にある序列のことらしい。詳しく説明するのは避けるが、このアイドルグループ、序列はすべて「個人売上」で決まる。3000人のアイドルがそれぞれECサイトを持っていて、ライブのチケットや個人グッズは基本的にECサイトの売上として個人単位で集計される。
「お客様の評価は売上です。それ以上でもそれ以下でもありません」というのがOKA3000運営の方針で、25歳の定年を迎えるまでに個人売上を10億円稼いだものだけが「K1」の称号を得られる。
こうして小下小石はSPZ道場に引っ越すこととなった。異例のことなので、テレビや週刊誌の取材が相次いだ。
「大丈夫です。自分は中学の時体育の成績は9でした」
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76年目4月
「旗揚げ75周年記念エッセンシャルシリーズ」開幕。
シリーズ第5戦の大阪大会で空位となっていたSPZ世界タッグ王者決定戦。欲野深子&サキタン組がカンナ神威、小川あかり組を下してタッグ王座奪取。格落ちの小川を集中攻撃して悶絶させ、最後は欲野がサソリ固めでギブアップを奪った。
「よっし!タッグベルトもらい―」
悪の軍団アポカリプスはまだまだ健在。
そして最終戦は新日本ドーム大会。
「旗揚げ75周年記念興行!!」
の大看板が掲げられた。
2009年4月21日、横浜赤レンガ倉庫の、3人で立ち上げた旗揚げ戦から、
4分の3世紀。
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