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2014年6月19日 (木)

報道特別番組20140619

私はプロレスファン歴30余年だが、カネを払って会場に観に行ったのは全日本プロレスだけであります。で、ここ数年、全日本プロレスが観客動員の減少、売上の減少に伴い、内部のゴタゴタが止まらず、武藤体制から分裂を経て白石体制、そして秋山体制へと変わり続けております。その先にあるものは復活か、滅亡か。

(売れなくなった全日本プロレス)

馬場体制下の全日本は、日本テレビの中継があり、放映権料という形で定期的に団体に収入があったのでそれが団体経営を安定していたのですが、馬場さんは概して「利益は溜めこまず、大物外人を呼んで次の集客につなげよう」という考えの持ち主でした。当時はプロレスの本場はアメリカであり、また日本にプロレスが普及した最大の要因が力道山がアメリカ人レスラーをバタバタとなぎ倒す構図が(敗戦国の複雑な国民感情もあって)支持されたということもあり、大物外人を呼んで、日本人スター選手に当てておけば客が入るという時代でした。

90年代前半の超世代軍が台頭してきた時期においても、ハンセン、ゴディ、ウイリアムスらの外人スター、アンドレ、ドリー、ブッチャーらの峠を越えたけどレジェンドな外人勢、クロファット、ファーナス、キマラといったB級外人らが大挙して参戦してきており、タイプの違うレスラーの攻防は実に見ごたえがあるものでした。

以上が昔は良かった時代の話で、99年1月の馬場さんの死、2000年の全日本分裂、そして2000年末のハンセン引退で全日本のよかった時代は終わりを告げ、武道館を埋められなくなり、テレビ放映もノアの方に行って、全日本の凋落がはじまりました。それでもまあ全日本という看板もあり、しばらくは踏みとどまっていたのですが、もう興行を打つほど赤字・・・という構図はこのころからあり、馬場さんの後を受けた夫人は経営権を武藤さんに譲渡し、団体経営の一線から退きました。

そうこうしているうちに全日本でも新日本でもないプロレスを支持するファンも増え、ただでさえ総合格闘技に押され斜陽化したプロレス興行は限られたパイの食い合いが進み、とうとう全日本の看板をもってしても、たかだか2000席の後楽園ホールは埋められない、地方興行においては(売り興行とか手打ちとか地域の支援者とか個別の事情はあるが)概して悲惨な状況に・・・という状況になってしまい、スポンサーなしでは立ち行かない状況となってしまいました。

自力では到底返せない負債を抱える武藤全日本プロレスのスポンサーとして現れたのがスピードパートナーズ社の白石氏で、全日本の株を譲り受けて経営者となり、運営会社を「全日本プロレスリングシステムズ」なる別会社に移して、負債問題をクリア?したようですが、通常興行でもうからないという根本的問題は変わらず、毎月経費の請求書だけが来る現状に業を煮やした白石氏は、マッチメイクや興行運営に口を出そうと現場介入を試み、それに反発した武藤前社長らは独立し、新団体W-1を立ち上げるに至りました。

全日本プロレスが二つに分裂して、残ったのは秋山らバーニングの5人と諏訪間、渕、大森ら。馬場全日本の残党団体の様相を濃くし、聖地・後楽園ホールの集客も700名そこらという危機的状態に陥りました。

(長くなるので続きます)

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