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2014年12月21日 (日)

12.6 全日大阪大会観戦記(1)

全日本プロレス 12.6最強タッグリーグ大阪大会観戦記

このカードを提示されたら観に行かないわけにはいかないだろうというカードがある。大仁田と渕が30年ぶりにタッグを結成するという情報を聞いて、矢も盾もたまらず大阪までの遠征を決意した。私にとってプロレスとは、物心ついた時にNWAジュニアヘビーのベルトを大仁田が防衛していたころの日テレ全日本プロレス中継を見たのがはじまり。
(チャンピオンベルトというのが存在し、挑戦者に勝つか引き分ければベルト防衛というシステムはこの時知った)

それ以来プロレス雑誌やらテレビ中継で大仁田を応援するようになったが、たしか私が小学2年のころ、大仁田がヘクターゲレロに勝った後リングから降りる際に転倒して膝の膝蓋骨骨折の重傷を負い長期離脱を余儀なくされ、応援するレスラーを失った私は、大仁田の同期というふれこみの渕正信に乗り換えた。やがて大仁田は復帰したがジュニア戦士の精彩を欠き、久しぶりに見た大仁田はロジャーカービーとかいうB級外人に膝を狙われ苦しむだけのファイトとなった。そうこうしているうちに大仁田は進退をかけてマイティ井上のジュニア王座に挑むが、敗退したのであえなく引退。たしか後楽園ホールでの引退式もテレビで見た覚えがある。

それ以降大仁田は全日マットから姿を消したが、自らFMWを立ち上げデスマッチの帝王・涙のカリスマとして奇跡の大ブレイクを果たす。
いっぽう渕正信は王道プロレス一筋として全日本の歴史とともにあり、もう2度と大仁田と渕がタッグを組んだり対戦することはないのだろうなと思っていたが、プロレス界は何が起きるかわからない。まして今の全日本は。

誰の発案かは知る由もないが、12月6日の大阪大会の集客策として、渕正信デビュー40周年記念FINALイベントとして、大仁田にオファーをだし渕と30年ぶりにタッグを組ませることによりすこしでも集客アップできたら・・・という知恵を出したのだろうが、悲しいかな、全日本人気は凋落し、大阪府立の1階はともかく2階は悲しいくらいガラガラの惨状であった。もう大仁田はともかく渕はオールドタイマーのロートルなのだろうか。30年ぶりのタッグという時の重さを誰も感じないのだろうか。

ということで3万円弱の交通費はこのカードを見るための必要経費と割り切って考え、私は11時40分東京発の「のぞみ」で関西へ向かった。
ほんとうは夜行バスで行きたかったのだが、朝6時過ぎまで仕事が終わらなかったのである。名古屋から雨模様になり関ヶ原では雪景色。ひさしぶりの旅情を楽しむ。14時過ぎに京都着。

京都でちょっとだけ観光をする。駅前の東本願寺に参拝し本堂で5分間正座してお経を聞く。そのあと駅へ取って返して新快速電車で大阪へ。桂川を渡り、向日町の車両基地の横を通り、高槻、茨木と過ぎて新大阪、淀川を渡ると大阪の梅田である。

時刻は午後3時、新梅田食堂街で食い倒れを決行する。おでんの名店、「たこ梅」で燗酒を飲みながら季節のおでんを堪能。そのあと「松葉」で」ビールを飲みながら串カツを数本つまんだ。

いい気分になって地下鉄御堂筋線に乗り、なんばへ。予め頭に入れていた5番出口から高速の下の道を歩き、右折したらほどなく大阪府立体育会館の看板が見えた。リングサイド席7000円のチケットを購入。前から5列目なのでそこそこ距離があった。

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