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2014年12月 9日 (火)

大仁田と渕(3)

大仁田はジュニアヘビー級のスター選手として、全日本マットで活躍、チャボゲレロとの抗争をはじめ、ドスカラス、ジプシージョーなどともNWAジュニアのベルトをめぐって激闘を展開。新日マットでちょうどそのころ爆発人気を得ていた佐山タイガーと並び評された。現在からは想像もつかないがトペスイシーダやブロックバスター、ミサイルキックなどの大技も見せていた。

しかし1983年4月、ヘクター・ゲレロとの防衛戦で勝利した後、リングを降りる際に足を滑らせ膝を床に打ち付け膝蓋骨骨折の重傷を負い、1年の長期離脱を余儀なくされた。

かくてジュニアベルトは王座決定戦の末チャボゲレロの手に戻ったが、馬場さんはここで長期海外に出ていた渕正信を呼び戻し、チャボゲレロのジュニアベルトに挑戦させたが惜敗。何度か挑戦のチャンスを与えられたもののベルトを巻くことはできなかった。

そうこうしているうちにジュニアベルトはマイティ井上が戴冠。 1年のブランクを経てマットに復帰した大仁田だったが、膝が弱点となってしまいそこを狙われて苦しいファイトを強いられ、負傷前のような輝きを失った。1984年に渕と組んでジュニアタッグリーグに出場したが、優勝戦に進出することも出来なかった。

またそのころ後輩の三沢光晴が2代目タイガーマスクとしてラ・フィエラを破って鮮烈デビューを果たし、大仁田の居場所は確実に狭くなっていった。 このままではいけないと感じた大仁田は引退をかけて84年12月ジュニア王者のマイティ井上に挑むも敗北。

1985年1月、大仁田の引退式が執り行われた。

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