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2015年10月 4日 (日)

プロレス技シリーズ88ストレッチプラム

今回ご紹介するのはストレッチプラム。

現在はセミリタイア状態の90年代全日四天王戦士、川田利明がトップに駆け上がるために使い出した痛め技がストレッチプラム。

スタンディングの状態で、下半身の入り方はコブラツイストと同じで、上半身は右腕で相手の右腕を極めて、反対側の腕でドラゴンスリーパーの要領で相手の顔面を締め付けるようにいて、その状態で力を入れてひねり、アバラ折りの痛さと腕関節の痛さと顔面の痛さの三重苦を味わわせギブアップを迫るものです。

この技が初公開されたのが92年春のチャンピオンカーニバルあたり、当初は飛龍裸締め式アバラ折りと決まり手で呼ばれていましたが、のちにストレッチプラムに統一されました。川田が鶴田越えのために使い出して、三沢のフェイスロックと並ぶギブアップを迫る技として脚光を浴びていました。たしか川田が初めて強豪外人スパイビーを破ったのが92年のチャンカン公式戦、ストレッチプラムでギブアップを奪いました。

もともと、川田と親交のあったお笑い芸人梅村達也氏が考案者ということで当初は梅コブラの名前で行く予定でしたが、あまりにネーミングが格好悪いため、梅を横文字のプラムにして、ストレッチプラムとして世に出ました。

筆者がこの技を初めて見たのは92年の8月武道館のセミ前、川田VSスパイビーのシングル戦で、試合終盤にこの技を仕掛けて、場内が異様な熱気に包まれたことが記憶に残っています。意地だけでこらえたスパイビーでしたが、ぐったりとしてしまって戦闘力が失われ、川田が次の手として用意していたフェイスロックに屈しました。

WASでは極め技のスタンダードとして実装されており、何人もの選手が使われています。

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