歩いてきた道 30(終)
◆歩いてきた道(30)プロレス文化は不滅です
娘のあかりは後輩選手に慕われていたようで、現役を引退してからもレフェリー兼裏方スタッフとして会社に残り、頼りにならないレフェリングでいまも会場を盛り上げています。また、SPZも数年前に、杉浦さんからバトンを受けた山本(和男)社長のもと、過度なエンターテインメント路線から、ある程度はスポーツ性を持たせた路線へシフトチェンジし、お客様に支持されるプロレス団体を目指してレスラー・スタッフ一丸となって頑張っています。
60代半ばの頃、娘の明里が結婚相手を連れてきました。相手の方は現役時代から親交のあったマスコミ記者さんでした。まだ孫の顔を見ることはできていませんが、頼れる人が出来て安心しています。でも結婚式ではなぜか涙は出ませんでした(笑)。
私も年齢を重ね、還暦前後の頃はこれまでにないくらい自由な生活を味わい、主人とふたりでアメリカやヨーロッパなどをゆったり旅行しましたが、何かが足りない。やはり最後まで人生を突っ走って、倒れるときは前のめり。父親が生前よく言っていました。
そこで、還暦を過ぎてからは、元レスラーとしてプロレス界発展のために微力ながら活動するよう心がけました。SPZプロレス中継のゲスト解説や、チャリティイベントなどに顔を出して老化を防いでいます(笑)。
先日はSPZプロレス博物館の企画で、ちゃんこを作って1杯300円で売りさばくイベントを娘と担当しました。若いころ道場で食べた味を再現するのは面倒くさいので、牛肉と玉葱、季節野菜を鍋にどばどばぶち込んでコンソメその他で煮込み、ちゃんこ鍋と言うより自分のやりたい創作料理っぽくなってしまいましたが、お客様にはさいわい好評を博し、用意した分はすぐ完売しました。
そうこうしている間に、私も70歳を迎え年金をいただける齢になりました。最近は出歩くのも少し億劫になってきましたが、とはいえまだまだ美味しいものを食べたいので、引き続きプロレスに関わる仕事を少しでも続けてゆきたいと考えていたところ、SPZから相談役になってもらえないかとのお話をいただき、ありがたくお受けすることにしました。とはいっても戸塚の本社に日参して、来客とお茶を飲んだり、新聞を読んだりして過ごしているだけですが。あとはリーグ戦とかの記者会見の際に座って、ひとこと挨拶するだけ。歴史と伝統あるプロレス団体ということを主張するためのお飾りです(笑)。
SPZもまもなく創業90年という老舗団体となります。新日本女子さんは創業100年を超え、男子でも100年を超える老舗団体があります。プロレス団体は大きな設備や商品在庫を必要としない興行会社であり、良いファイトを見せることのできる選手さえ揃っていれば収支あいつぐなうからビジネスとしては難しいほうではない。と監査法人に勤めていた母親がよく言っていました。とはいえ、2時間半の興行の対価としてのチケット代を支払う価値があるかどうかはお客様が判断されることですので、お客様に楽しみと興奮を提供し続けられるようなプロレス界であってほしいと願っています。
1年ほど前に、娘夫婦と3人で北海道にカニを食べに行きました。そのとき雪が凍った道で、私は滑って転倒してしまったのですが、反射的に両腕と背中で受け身を取り、大事には至りませんでした。そのとき自分は、現役を離れても、死ぬまでプロレス人なのだなと感じました。さして長くない残りの人生ですが、終了のゴングが鳴るまで、プロレス振興のために微力を尽くしてゆきたい、そう思っています。(終)
(フローラ小川:元プロレスラー)
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