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2019年1月19日 (土)

稀勢の里伝説

稀勢の里伝説

第72代横綱・稀勢の里さんが引退を表明されました。

恵まれた体格に突き押し、左四つ相撲、中学時代野球で鳴らして運動センスも抜群。中卒後すぐ角界入りし、いわゆるたたき上げ力士として、17歳で十両、18歳で幕内に上がる早熟。元横綱隆の里の指導を受け早くから幕内上位に定着されました。

この力士の特筆すべき点は、いわゆる八百長、ブック相撲に一切手を染めなかったこと。厳格な師匠に指導されたこともあり、本場所15日間ガチンコ真剣勝負を貫きました。何日間かは相手と話をつけて楽にして・・・という選択をせず、15日間ぶっ通しで全力を尽くし、大関時代の魁皇に6連勝する、白鵬の連勝を63で止めるなど若くから将来を嘱望されていました。

しかしそのスタイル故、下位の力士から取りこぼし、プレッシャーに弱いこともあり大関昇進はかなり遅れました。大関に上がってからもその相撲道を貫き、下位への取りこぼしをなくして安定感を身に着け、大関から5年かけて横綱昇進を果たしたもののその矢先に大胸筋断裂の大けがを負い、治療不十分なまま中途半端な復帰を繰り返したこともあって左おっつけの威力は失われ、怪我をする前の輝きを取り戻すことはできませんでした。

横審から「激励」をもらってしまいこれ以上休めなくなって出場せざるを得なくなり、最後は3連敗で散る結末に。

横綱は勝てなくなったら引退という制度は今の時代厳しすぎるのではないかと思う。勝てなくなった横綱は、横綱の地位を返上し、十両14枚目格に降格してリスタート、という制度があった方がいいのかもしれない。大関で長くやるほうがいいじゃんと気づく人が出てくる。

あの大怪我をしなかったら、先代の師匠が急逝していなければ、もう少し柔軟な思考で注射に手を染めていれば、角界にたらればは禁物ですが・・・もうあの雄姿を見られないのかと思うと少し寂しい。

私が稀勢の里に注目していたのは魁皇がハチナナグランドスラムを達成していた2010年、稀勢の里に6連敗を喫していました。あの老獪な魁皇が四つ相撲の真っ向勝負で勝てない若手が出てきた。これは超大物かもしれない。そう思って注目していました。2011年の初場所(だったと思う)に魁皇VS稀勢の里の取り組みを観に行ったこともあります。(このときは魁皇がはたきこみで勝った記憶があります)えんじ色の締め込みが決まっていました。

感情を表に出さないのは師匠に指導されてからであって、本当は激情派なのか、格下に負けた取組後に「あー」とか「くそーっ」とか風呂場で絶叫するなどなかなかのネタ師でした。

今後は荒磯親方として後進の指導にあたるとのこと。大相撲の魅力を余すところなく伝えていただき、長い間ありがとうございました。

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