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2019年2月25日 (月)

2.19馬場さん追善両国大会観戦記1

馬場さん没後20周年記念興行 2.19両国観戦記

昨年の秋、馬場さん没後20周年を偲んで追善興行を両国国技館にてオールスター形式で行うという知らせが入った。遺族の方が馬場さんの名前を使って興行を行うのもどうかと思っていたのだが、あわせてあのブッチャーの引退セレモニーも行うという話を聞いて、私の心は揺らいだ。2012年に武藤全日本に来日したが、そのころからもう歩行困難な状況で、とっくにアトランタで余生を送っているものと思われたが、日本のファンに別れの挨拶をしにやってくることになった。

ブッチャーはフォーク攻撃でファンクスを痛めつけるなど極悪非道のヒールというイメージが強いが、あれはブッチャーが稼げるレスラーになるためには何をすればよいかを熟考した結果ああなってしまったと自伝に書いてあった。もう78歳、余命はあと数年だと思われ、おそらくこれが最後の来日であることは想像がつく。それでも本業の仕事が忙しくて観に行こうかどうか逡巡していたが、第1試合のバトルロイヤルにあのジョー・ディートンが出場するということが発表されたので、私も心を決め、職場1階のファミマでチケットを押さえた。

ディートンが22年ぶりに日本にやってくる。90年代前半の馬場全日本の常連外人だったのだが、195センチの体躯の割にファイトスタイルはベーシックで凄味はなく、得意技はブレーンバスターや河津落としであって、6人タッグマッチで最初にコールされる添え物的外人なのだが、全日本中継のプロレスニュースではいい奴と評されていて、キムラサンアイシテマスのマイクとかもあって悪役商会に入って馬場木村と闘ったりもした珍しい外人。95年ころから全日本への参戦は途絶え、いまはアメリカはジョージアで普通の仕事をしながら時たまインディー団体に「アウトロー(無法者)」として上がっている。

2階の自由席5000円しか残っていなかった。亡くなられてから20年も経つというのに、馬場さんの雄姿をまだ忘れていない人はたくさんいる。まったくもってプロレスファンは情け深い。ブッチャー78歳が本当に来日できるのかと思ったが、2月17日、車椅子姿ながら来日。付き添っているのはディートン。住んでいるところがけっこう近いので、同じ飛行機で来日したのか。往年はちょび髭面をした憎めないアメリカン兄ちゃんだったのだが、61歳になり渋いアメリカのおっちゃんになっていた。歳月の流れを感じざるを得ない。

むりくり休みを取って、15時過ぎに初台の自宅を出て、新宿西口で茶漬けの遅い昼食を済ませたのち中央快速と総武線を乗り継いで16時過ぎに両国。自由席なので良い席を確保するためには待たなければならない。17時過ぎに開場。向正面の7列目に陣取る。コートを置いてエントランスのグッズ売り場を瞥見したが、ものすごい人でごった返しており閉口したので早々と2階席に戻る。1時間半の空白、本など読みながら待つ。

第1試合前に炎のファイターが流れ、なんとアントニオ猪木が挨拶。元気ですか―、と123ダーをやったがリングには上がらなかった。やはり全日のリングを使っているので上がるのはどうかと思ったのか。足が悪いのか。

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