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2021年7月 3日 (土)

訃報

90年代全日本プロレスの常連外国人選手だった

パトリオット選手(本名・デル・ウィルクスさん)が

心臓発作のため、亡くなられました。享年59。

90年代前半、WCWとWWFの全米席巻で、馬場さん好みのデカくて動ける外人選手が手に入らない!と悩んでいた全日がいろんなルートで外人選手を探していて、無名なんだけど大きくてパワーのある外人選手を発掘した。

覆面レスラーなのに、190センチを超える大型の筋骨隆々でパワーファイトを得意とし、必殺技がコーナー最上段からのパトリオットミサイル(威力はともかく、かっこいい)、フルネルソンバスターやスパインバスターなどの力技もこなす。しかし、馬場さんの評価は力だけの選手と辛く、カンナムの上、エースの下ぐらいの評価で、ハンセン、ゴディ、ウイリアムスの外人トップに割って入るところまでは行きませんでした。

星条旗を模したマスクとコスチュームがド派手、まさにアメリカンを象徴していた感じ。全日も悪乗りしたのか、ジャッキーフルトンに覆面をかぶせてジ・イーグル、ジムスティールに覆面をかぶせてザ・ラクロスとUS空軍チームで売り出しました。

やがてWWFに引き抜かれ全日マットからフェイドアウト。そして肘の故障で引退。全日マットに初来日したのが1992年だったので、王道マットでは5年くらいの活躍だったのですが、準A級外人として強烈な存在感を放っていました。

プロレスラーは切ない商売です。キッド、D・スミス、ファーナス・・・マッスルマンタイプの選手は長生きできない。成功するためとはいえ、手を出してはいけないものに手を出してはいけないんだろうな・・・

レスラーは切ない商売です。あの当時、外人選手も日本に呼んでもらうため、のし上がって大金を稼ぐため大変だったのでしょう。

たくさんの思い出をありがとうございました。合掌。

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私がパトリオットの試合を生観戦したのは1度だけ。1992年8月22日の日本武道館、休憩明けの試合でクロファット・ファーナスと対戦しています。

第4試合 ダニー・クロファット、ダグ・ファーナス 対 パトリオット、ジャッキー・フルトン

休憩明けの第4試合は、タッグ屋の前アジアタッグ王者、カンナムエキスプレス。対するは新外人の星条旗の覆面レスラー、パトリオットと金髪イケメン外人のジャッキー・フルトン。

パトリオットは将来を期待されている大型外人レスラーであり、持ち前のパワーでカンナムの二人を蹴散らして行くが、チームワーク抜群のカンナムがうまく分断に成功し、ジャッキーを孤立させた所でクロファットがタイガードライバーで仕留め、カンナムに勝利をもたらした。これは見ごたえ充分の外人タッグマッチであった。

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